母・松谷みよ子が、父・瀬川拓男と出会った頃、木下順二先生らによる民話論争が盛んでした。
しかし、父は「机上の論争では駄目だ。直に足で出向いて、その地方の語りを聞こう。」と採訪を始めました。実は自称、神田生まれの母は、民話は苦手だと思い込んでいたのですが、直にいろいろな語りべの話を聴く中
で、身近な舅姑問題の話から、不思議な話、その土地に伝わる伝説などから、壮大な民話の世界にどんどん惹かれていったのでした。
それらは『信濃の民話』『秋田の民話』として出版され、全国を歩き回る中で、『日本の民話』全12巻が生み出されました。聞いた語りの数々から、作家の思いを織り込んだ再話として、多くの民話が世に広められました。
こうして民話の世界に深く入り込んでゆく事になりますが、父と結婚した当時の母の夢は「ロシアのイワンのように、日本の太郎を生み出そう」と想いを募らせます。そして、全国から集めた民話にさらに母独自の世界を重ね合わせて、『龍の子太郎』が出来上がりました。この作品は父主催の劇団太郎座により、人形劇として全国を廻り、共同映画により映画化されました。
『龍の子太郎』に続き、『まえがみ太郎』『ちびっこ太郎』という、同じ手法で作り上げたこの「太郎三部作」は、多くの子供たちを壮大な世界に導きながら、愛と勇気と信念を与え続けてきたのだと思います。
文 瀬川 たくみ