戦後70年を迎えるこの年に 作家 松谷みよ子がこの世から旅立ちました
何か 大きな意味を感じずにはいられません
戦争がなぜ起きるのか その事は 『終戦のエンペラー』という映画でも垣間
見える事です 国と国との争いというよりも 戦争を起こしたい そこに利益
を求める人間の存在 その諜報組織によって国が操られて起こる その果ての
狂気の沙汰なのではないでしょうか 正義が狂気の沙汰に変貌する有様は松谷
みよ子作品にも「直樹とゆう子の物語シリーズ」にも描かれていますが 先日
観た『日本のいちばん長い日』では その描写が印象的でした
母もこの数年間 書店から松谷みよ子作品がどんどん消えてゆく現状からこの
国の何か幼い方へ傾いて行く事に違和感を覚えているようでした 「昔は文豪
の本が書店を埋め尽くしていたでしょう 今は アニメとゲームの本と実用書
ばかり このままだと日本人は考える力や想像力を失う国になってしまうわね」
二人でよく話す内容はただひたすら 「この国何か変よね」でした
すると必ず「たくみの頭の中はおじいちゃんそっくりね 弁護士か 政治家に
なれば良かったわね」と母が言います 私は「おじいちゃんが 政治よりも芸
術の方が尊いと言っていたでしょう」と言い返します その芸術文化もすっか
り威力を失った日本 いいえ 日本人の大半が本当は文化芸術を求めているは
ずなのに 失われてゆく不思議さ 偉大な芸術家が亡くなれば 語り継がれる
こともなく 忘れ去られてゆく不思議さ 大切な物がどんどん失われてゆく中
いまこそ必要なのは惑わされない強い心をしっかり持つ事ではないでしょうか
松谷みよ子の『じょうちゃん』の中にもあるように 私の祖父の松谷與二郎は
皇太子(後の昭和天皇)を狙撃した難波大助の弁護士を務めました その時に
與二郎は皇太子だった昭和天皇のお人柄をそれなりに調べつくしたのではない
かと思えるのです
私にとって高校生の頃 世間が言っていた「昭和天皇には戦争責任がある」と
いう言葉に 強い違和感を覚え「昭和天皇はどこまでも正しいお方 昭和天皇
は何一つ間違っていない」と信じてきました その思いは祖父から私の海馬に
受け継がれた記憶ではないのか この数年間は母とそういう話をよくしました
よく著名人がターゲットにされて財産が乗っ取られるという話を聞きますよね
実は松谷みよ子もそのターゲットでした 貴重な物は全て持ち出され それに
気が付いたこの10年近くはあらゆる事柄との闘いでした その中で地方検察庁
の検事さんと出会う機会がありました この国を守るべく素晴らしいお仕事を
大変な思いをされながら遂行されている ある意味で素晴らしい芸術を生み出
す作業と似ているかも知れないと思いました 探究心無しには成し遂げられな
いと感じたからです 実に5年前のいい経験でした ですからこの5年間は母
から「弁護士や政治家」と言われるたびに「検事がいい」と真剣に思ったりし
ました
戦後70年を迎えた2015年 二度と戦争を起こさない世界を作り上げてゆく為
に 戦争を知らないからこそ 私達には冷静さが必要ではないでしょうか
前述の映画のように 戦争は 戦争工作員らによってひたひたと進められる
それは戦争を引き起こしているどさくさに 火事場泥棒のように国の財産を奪
ってゆくものであって実は国と国の争いではないのではないか それこそ悪意
のシナリオではないか 報道の世界がそのシナリオに乗って 煽動をしてはな
らない この答えを見出したのが 晩年20年間の松谷みよ子を取り巻いていた
事柄から 私なりに得た判断です 捏造 改竄 証拠隠滅等を駆使し人の心を
掌握していく恣意的な行為が「戦争」へと姿を変えてゆくきっかけになるのか
もしれません
第二次世界大戦もその前も ずっとその前の「戦争」全てがそういうものであ
ったに違いない そうしたことに気が付き始めた一部の政治家が必死になって
推し進めようとしている事は 歴史を繰り返す事ではなく 歴史のやり直しで
はないのか 松谷みよ子の辿った経験と共に私の深く感じるところです
この国の行く先をいつも案じていた母は 原爆を落とされたが故の この国の
使命を この先の若者たちに託している そうした作品を多く遺していったと
思えてなりません 何が真実か見極める心眼を養いましょう 目の前に見えた
事柄に右往左往するのではなく 自分なりの中道の精神 王道の心構えを持ち
強い心を育ててゆきましょう 全世界の戦争によって命を奪われた方々への祈
りを込めて そういう視点を胸に刻み この先 前に進みましょう
松谷みよ子はそういう思いで 天から私たちを見つめていると そう感じます
2015年8月15日 瀬川 たくみ